自己満足ってなんでネガティブに語られることが多いんだろうか?特に国際協力において。

みなさん、こんにちは!松原(@matsubara_nobu)です。
先日、こんな記事を読みました。

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 この記事で言っていることは2つ。

  • 「誰かのため」って言っている裏には自分の素朴な欲求が隠れているのではないか?
  • 「誰かのためになりたい」と思う一方で、「何を提供できるのか」を考えなければならない。

これを読んで、自己満足について考えてみました。

自己満足ってもっとオープンにして良いんじゃない?

国際協力に携わる(携わりたい)学生から特に多く聞くのが「誰かのためになりたい」という言葉。誰かのために自分の時間を捧げられるのって個人的にはとても素敵なことだと思うんです。

しかし一方で、「意識高い」「偽善っぽい」と敬遠されることも確かです。

その根拠として、この記事でも言っているように「誰かのため」という言葉の裏に「誰かのためにこんなことをしている自分って優しい」とか「頼りにされてるのが嬉しい」という他の理由が垣間見えることがあるからだと思います。

ただ、ぼくは、自分の素直な気持ちに向き合うことが大事という筆者の問題提起に加えて、国際協力においては「誰かのため」という理由以外受け入れられていないために素直な気持ちを表に出しづらいという傾向もあるんじゃないかと思います。

国際協力=ボランティアでやるもの、のようなイメージがいまだに強い日本だと国際協力が神聖化されているように思います。

なので、「誰かのため」という言葉の裏に隠れた他の理由に気づいていない人がいると同時に、他の理由から国際協力に取り組みたいと思っているけどそれを言いづらいから「誰かのため」といっているひとも一定数いるんじゃないかなと思っています。

つまり、国際協力の業界では自己満足の一面を見せることが好まれていないということ。

これ、個人的にはすごくもったいないなと思っています。

というのも、普通にどこかの企業で働きたいと思ったときに、その動機って「稼ぎたい」だったり「研修制度が整ってて自己成長できる」という理由が並ぶと思うんです。

けど、これって結局自己満足じゃないですか。なぜ、普通に職につきたいときには自己満足な動機があることは一般的に受け入れられるのに国際協力はそうはいかないのでしょうか。

このような空気感からしばし敬遠され優秀な人を一定数逃しているんじゃないかとも思っています。

なので、国際協力においても「誰かのため」という理由だけでなく他の自己満足な側面も受け入れられるようになってほしいなと思うし、みんなそういう側面オープンにしていいんじゃないの?って思います。

“結果的に”誰かのためになっていればいいのでは?

なんでこんなこと言っているのかというと、ぼく自身が自己満足でやっている部分が少なからずあるからです。

多少非難もありそうな気がしますが、個人的には国際協力したいと思ったときに「誰かのため」という“結果”に関心があるというより、その仕事をする中でNGOや企業、行政、寄付者など色んな人が協力してプロジェクトを進めることや国際協力に携わる中で社会の構造を理解していく“プロセス”が楽しいからといった面があります。

自分の好奇心を満たすことに重きが置かれているわけです。この好奇心を満たすプロセスの先で結果的に誰かのためになってるのであればそれはそれでいいのかなと思っています。

 

ただし、

 

ここまで言っておいてなんですが、ただ自己満足のためにやっているのではそれは趣味なわけです

仕事をするとなったら責任が伴います。ここで、最初に紹介した記事の2点目の視点が必要になるのかなと。

社会が何を求めていて、その上で自分は何を提供できるのかということに自覚的にならなければ責任感は生まれません。

 

自分が満たされる部分と社会から求められている部分が重なっていないと成り立たないんですね。この点だけは注意が必要です。

これを念頭においておけば、「結果的に誰かのためになってるのであればそれはそれでいい」と仕事でもいえると思います。

まとめ

長くなりましたが本日お伝えしたいことは、

国際協力でも社会のニーズと合致していれば動機が自己満足でもネガティブに語る必要はない

ということです。

 国際協力ってそんな神聖な領域ではないと思うし、携わる人たちのいろんな動機を暖かく受け入れてもらえるとうれしいなと思っています。

それでは本日はここらへんで。